滋賀の観光紹介④ 草津

家康も芭蕉も食べたうばがもち

草津は東海道と中山道の分岐点で、交通の要所であり、往き交う旅人の休み処でした。
その時に食べられたお菓子が『うばがもち』。 東海道五十三次草津宿の浮世絵にも描かれている「うばがもちや」は、今も草津にあります。

徳川家康が、八十四歳になる乳母から餅を献じられ、「これが姥(うば)が餅か」と言い、乳母の長寿を喜び、その誠実な生き方を称えました。

大阪からの凱旋後、また駕籠(かご)をここで止めたので、以来、公卿や諸大名が必ずここで餅を求めるようになったといわれます。

江戸の時代、当時の文化人が競うように『姥が餅』を取り上げ、いわば広告塔の役目を果たし、その評価はたちまちのうちに全国に広まることになりました。  

「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」

草津から京都へ行くためにはまず、大津へ行かねばなりませんでした。そのためのルートが二つありました。
①矢橋から琵琶湖を船で渡っていく湖上ルート
②南部の「瀬田の唐橋」を渡っていく陸上ルート

より早く行くには、①の船に乗って湖を横断するルートです。しかし比叡山から吹き降ろす「比叡おろし」という突風で遭難、転覆してしまう船も少なくありませんでした。

時間をかけても②の陸上ルートで行ったほうが、結局早く着く。

そこから生まれた歌が「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」で、「急がば回れ」の語源といわれています。

草津で一休みした旅人はうばがもちを食べながら、湖上ルートと陸上ルートのどちらで行くかを悩みました。そうするうちに読まれるようになったのが、 「瀬田へ廻(まわ)ろか矢橋へ下(くだ)ろか此処(ここ)が思案のうばがもち」 というものでした。

この言葉と共に、この草津名物「うばがもち」は益々広くその名が知られることになりました。

「うばがもち」は、草津駅でもお土産として手に入れることができます。草津にお越しの際はぜひ一度口にしてみてください。

うばがもちや